こんにちは、精神科ナースまさです。
みなさんの中には「海外生活」に憧れる人も多いのではないでしょうか?
例にも漏れず私もめちゃめちゃ憧れてました(笑)
もちろん今はコロナでそれどころではないのですが、やっぱり「いいなぁ」って思っちゃうんですよね〜。
そんな私ですが、2019年からコロナが流行するまでオーストラリアにワーキングホリデーに行ってたんです。
今回は自分が憧れていた「海外生活」をしてみて学んだことを少しお話していきたいと思います!
少し長くなりそうなので、今回の記事から複数回に分けてお伝えしたいと思います。
この記事はこんな人にオススメ!
・海外に興味があるけど、自信がない
・環境を変えたいけど勇気が出ない
・ワーキングホリデーってただの遊びって思われそうで怖い
オーストラリアのワーキングホリデーで学んだこと
そもそも「ワーキングホリデーってなんぞや?」ってところから簡単に説明させていただくと
国や国籍にもよりますが、30歳までの人は最大1年間その国で働いたり旅行したり、だいたいなんでもして滞在できますよっていうビザです(ちょーざっくり笑)
オーストラリアのワーキングホリデービザは、あらゆる国のビザの中でもダントツで自由度が高く、抽選もないし、最速で1か月ぐらいでビザがおりていました。(2018年時点)
そんな制度を利用するために、仕事を辞めて渡豪した私の学びです。
意外となんとかなる(笑)
私は英語がもともと話せたわけではないので、行き当たりばったりなところも多かったです。
実際、ファームの仕事を半日でクビになったり、原住民に襲われそうになったり、ボロボロの車で約2,300kmを2日で縦断したり、貯金が数千円の状態で家と仕事を同時になくしてテント生活になったりと思い返せばしんどい場面が多かったです(笑)
しかし、その甲斐もあってかなんとか生きるために語学を身につけ、現地の友達も出来ましたし、多国籍に交流がもてたのはラッキーだったと思います。
人にもよると思いますが、私個人としては日本で働いているときよりも不思議と辛くなかったです。
その理由として、すべて「自己決定」していたからなのかなぁと思います。

自己決定の大変さと楽しさ
私自身、けっこう心配性な側面もありますので、在豪中は常に悩んでいました。
最初は語学学校に行っていたのですが、全く英語が上達する気配がなく、仕事も見つからないので、わざわざ仕事をやめてまで渡豪してきたのに、なんの成長もみられない自分に焦っていました。
「なんのために来たんだろう・・・。」そう自問自答する日々が続いていたある日、突然学校を行くのをやめて、田舎のほうにファームの仕事を探しに行くことにしました。
学校自体は、日本にいるときからお金を払っていたので、休暇という形で一旦保留みたいなかたちで置いておいて、ある程度英語を話せるようになってからもう一度通いたいという意思を先生に伝えると、快く承諾がいただけました。
その後は車の購入やファームのお仕事探しをしたのですが、まぁ大変で(笑)
英語も微妙、オーストラリアでの職業経験もなし、ともなれば本当に苦労しました。信頼も信用もないですしね。
自分で決定したことでしたけど、それがすべて自己責任であることをまざまざと痛感していました。
そんな状態でしたけど、不思議と心が折れなかったのはやっぱり「自己決定」してきたからなんだろうな、と思います。
それまでの人生も自己決定してきたつもりでしたが、なんだかんだ周りに流されている自分がいました。
高校を卒業し、家系内に多かった看護職をなんとなく目指し、なんとなく卒業して、流されるように総合病院に就職して・・・。
そんな「周りに流されながら、なんとなく」で生きていた自分が
ここにきて「すべてが自己責任」で「すべてが自分次第」の環境に飛び込んだ刺激は非常に大きかったです。
おそらくこの感覚は、小さいころに親のお金で留学をしたり、学校の制度を利用して海外にきていたら得られなかったのではないかと思います。
だって「学校に行く」という目標が定められているから、それ以上の決定や計画の変更は自分でできないのですから。
決して留学が悪いとかという話ではなく「ワーキングホリデーだったからこそ得られた経験」という意味で、自己決定の大変さとその楽しさを学ぶことが出来たのは本当に良かったと思います。
これからの人生においても非常に重要な学びでした。

途中ではあるのですが想像以上に長くなったので、①はここまで!続きは②でお会いしましょう!
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